7月園だより

梅雨に入りましたが、時々晴れ間があり、今日も子どもたちの園庭で元気に遊ぶ声が聞こえています。先日(6/24)思わぬ時に地震がありましたが大丈夫でしたか?避難訓練を予定していた日に近かったので、あまり揺れを感じなかった先生が「えっ!!今日だった?」と驚いて・・・ということもありました。そして今日は本当の避難訓練があり、第二避難所に移動する訓練をいたしました。毎月避難訓練をしておりますので突然起こった時も、訓練の時も同じように年長さんから年少さんまで沈黙で集まることが出来、先生のお話を良く聞いています。一学期の終わりまでほぼ二週間くらいですが、熱中症になることなく元気に遊び続けてくれればと願っています。

今月のそよ風

信じるということ

世界中の人がお前を悪いと言うなら、世界中が間違うとる。 石原理恵子の父

先日の朝日新聞の「折々のことば」に書かれていたものですので、お読みになった方もいらっしゃると思います。内容はこう書かれていました。

高校を強制退学になった日、二番目の父は家できちんときものを着て待ち、ひしと抱きしめてくれたと漫画家は言う。「みっともない」などとはいわず、猫かわいがりというか、自分の存在を無条件に認めてくれたと。『洗えば使える泥名言』から。この経験は大きい。自分を否定しないですむし、いくら何でもいいすぎだと、以後自分を過大評価することもなくなるだろうと。

私はこの記事を読んでとても感動しました。信じるとはこういう事ではないかとも思いました。そして自分の小さい時の思い出が浮かんできたのです。私は家族の靴を磨くのが好きでした。「ありがとうきれいになったね」と言ってくれるのが嬉しかったのだと思いますが、その日の父の靴は上等なものだったので、靴磨きのおじさんに頼もうと思い、出たのですが、残念ながら何時も居る場所にいません。するとちょうど自転車に柳ごおりを積んだ人が「お嬢さん靴磨きですか、わたしがやってきましょう」と言ったので、私はお願いしますと渡してしまったのです。それを父に話すと、お気に入りの靴だったので何か言いたかったと思うのですが、なにも言いませんでした。私は心配になってしまったのですが、後のまつり・・・ですが夕方その人は父の靴を届けに来てくれたのです。今、年を取って考えてみますと、私を「人を疑わず信じる者」にしたのは、他でもない、私を何時も信じてくれた父や母だったと思うのです。昔々の話で理解し難い部分もあるかと思いますが・・・

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